― 浮かんだノイズ ―
木村は視線で、女の隣の空間を指し示して確認した。
「そこにいんの?」
「あ、いえ、隣にいますよ」
女が手で、木村の右隣りを指し示した。
木村は自分の右隣りに向くと、少し頭を垂れた。
こちらに背を向けているので木村の顔は見えなかったが、きっと記憶の中にある麻衣の目線の高さあたりを見ているのだろうと俺は思った。
「このあたり……かな?」
「逆です」
木村の肩がピクッと上がった。
言われたとおりの方を木村は向いたのに――
俺にも何事か意味がわからなかった。
木村は一瞬考えるような素振りを見せると、訝しがりながらも言われたとおりにこちら側に向きなおった。
しかし、その顔は更に訝し気に歪められた。
木村の目の前には先ほどまで座っていたスツールとカウンターテーブルがあり、人が入るようなスペースはなかった。
「嘘です」
女が言うと、木村は目を剥いて女を見た。
女は困ったような表情で言った。
「いや、あの、麻衣さんがそう言えって……」
「しょうがねーなぁ……」
そう言いながら木村は再び元の背中側に振り返ろうとすると慌てて女が言った。
「あっ、正面です。こっち……」
木村は呆れたように女の方へ向き直ると、何か思い出すように微笑んだ。
「麻衣らしいな……」
「嘘です」
木村は再び目を剥いて女を見た。
「ごめんなさい。麻衣さんが……」
女が木村の右隣りを見た。
木村は探るように横目で女のようすを覗いながら、再び自分の右隣りを向いた。
女が真剣な表情で、そこだ、というように頷いた。
「では、いいですか?」
木村がかしこまって背筋を伸ばした。
それを見て女が話し始めた。
「木村さんには、本当に……」
「あっ!」
木村が声を上げたので、女は驚いたように木村を見た。
「あー、ごめん。悪いんだけど、木村さん、じゃなくて。その……麻衣が言ってるそのままで言ってもらえるかな……」
「あ、あー、はい……」
「悪いね」
「でも、その……麻衣さんらしい言い方とか言い回しとか、うまくできないと思いますけど」
「あー、いいよ。かまわないから」
女は頷くと、木村が向いた麻衣がいるらしき方を見て、小さく咳払いをしてから続けた。
「裕典には本当に自分が幸せになる選択をしてほしい。やり切った、生き抜いたっていう人生にして。多分、きっとやってもやりきっても、多少の後悔はするものなんだろうけど。でも、少しでも満足できるように、やれるだけのことはやったって、生き方をしてほしいの」
そう女が言うと、木村は下を向いて黙った。
しばらく静かな時間が流れた。
木村が何かを決意したように顔を上げた。
「俺、分かってたんだよ、自分に才能がないの……でも、じゃあやめてどうするっていっても今更どうすりゃいいかも分からないし……」
木村の背中は小さく震え、微かな嗚咽が漏れ聞こえた。
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