― 浮かんだノイズ ―
異様な光景だった。
女は木村に向かって話すのだが、話しかけられた当の木村は自分の横の誰もいない空間に向かって話していた。
「確かに麻衣の言うとおりだ。俺、麻衣が死んだことを言い訳にしてた。もちろん、麻衣がいなくなったことは辛かったけど。でも、それとこれとは関係ないって分かってた。でも、何かいいわけしないと俺さ……」
そのようすが滑稽に思えてしまい、俺は笑いそうになったが、同時に、本当にそこに麻衣がいるのだと思うと、居心地の悪いような怖いような複雑な気分になった。
目を逸らして、この場から消えたい気分だった。
だが、そうすると、この状況……死者がそこに存在する、ということを認めてしまうような、そんな気がしてそれも恐ろしかった。
もし、死者が存在する……そうだとすれば……
考えただけで気がおかしくなりそうだった。
女は優しい眼差しを木村に向けていた。
「大丈夫。そう。それが分かればきっと大丈夫。ちゃんと考えて決めてね。私、裕典には幸せになってほしいって、とにかくそう思ってる。私にはもう裕典を幸せにすることはできないから……だから、自分の力で幸せになるように生きてほしいの。裕典には、まだこれからの人生があるんだから――」
木村が顔をあげた。
「麻衣――」
「羨ましいなぁ……わたしも生きていたかったな……」
木村は静かに背中を小さく震わせていた。
「わたし……そろそろ行かないと……」
慌てて木村が女の方を見た。
「え? 何で?」
女は深刻な顔で、木村の右隣と木村を交互に見ながら自分の言葉で言った。
「このまま長くこの世界に残っていると、麻衣さん、良くない状態になると思います」
「良くない……って?」
「良くない感情、悪意の塊みたいなものだけが、この世界に残ってしまうような……そんな感じだと思ってもらえれば……」
俺は背中を流れる汗が体温を奪っていくのを感じた。
俺はこれまで、神や仏なども含めて霊的なものの存在など信用してこなかった。
商店会の連中は、折に触れ、商売繁盛の祈願などをしていたりするみたいだが、俺は一切したことがない。学生の時に合格祈願くらいはした記憶があるが、初詣さえ、子供の時に家族で行ったのと、美樹に無理やり連れていかれた数回くらいで、あとは誰かに誘われたことがあっても断ってきた。
それは自分の力だけが頼りだと思っていたからだったし、実際そうしてここまでやってこれたと自負し、全て自分の努力の賜物だと思っていたからだ。
木村が言った。
「でも、麻衣にそんな悪意なんて……」
女が木村の右隣を見て頷いてから言った。
「私にだってないわけじゃない……」
女が再び麻衣の代弁を始めた。
「当たり前でしょ。まだ生きていたかったに決まってるでしょ。私を跳ねたあの運転手を恨みたい気持ちだって……。生きていたかったよ……」
そこまで言うと、女は少し緊張しつつ悲し気な面持ちで、麻衣の足下あたりなのであろう床に視線をおとした。
「麻衣さん、そろそろ限界だと思います」
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