第12話 アコギ事件 ~麻衣という女~

執筆者 : 吉良朗

― 浮かんだノイズ ―

 麻衣のその不服そうな顔を見て、俺は慌てて取りつくろった。

「いや、あの……プロになれないからとか、ならない奴、なりたくない奴、そういうのも全部、才能ないって決めつけちゃっているうちはダメだってことね。だってその時点で、プロになってない自分を才能ないって認めてるってことでしょ」

「なんか、難しいな……」

 そう言うと、麻衣はカクテルの入ったグラスに口をつけた。

 俺は何かいいことを言ったような気がしたので満足して話題を変えた。

「でもさ、麻衣ちゃん、このままどうするの?」

「え? 何がです?」

 麻衣は大きなひとみをした目を見開いてこちらを見た。

「麻衣ちゃんだって、考えはするでしょう。ほら結婚とか」

「ああ、まぁ……考えないわけじゃないけど」

 麻衣は、視線を手元のグラスに落とし、何か物思うようにグラスを傾けた。

「あいつじゃ無理でしょう。夢ばっかで、うちのバイトも、時給安いっすよぉ、とか言ってるし。だったらちゃんと満足のいく給料もらえる仕事探しゃいいんだよ」

「でも。口ではそう言ってたかもしれないけど、わたしには、マスターに感謝してる、って言ってましたよ」

「えー、そうなの? でも、まぁ、そりゃそうだよなぁ。あいつの能力からすれば、俺としては奮発ふんぱつしてんだから。麻衣ちゃんがあいつの彼女じゃなかったら、とっくに他のやつやとってるよ」

「そうなんですか? じゃあ、わたし感謝してもらわないとですね」

 そろそろ木村が戻ってくるだろうと思った俺は意を決し、身を乗り出して麻衣を見つめた。

「このまま、木村といても麻衣ちゃん幸せになれないよ。あいつ、才能ないし。人生終わっちゃうよ。それよりさ、俺とかどう?」

 俺は冗談っぽく言ったが、頭の中では麻衣の一糸纏いっしまとわぬ姿を想像していた。

 麻衣は少し驚いたような顔をして俺を見上げると、そのまま俺の斜め後ろのフォトフレームの方を一瞥いちべつした。

 木村の声が聞こえてきた。

「またペーパータオルすげえ使ってる奴いるんだけど……ったく」

 俺は、麻衣から視線をらした。

 戻ってきた木村は舌打ちした。

「ちょー分厚ぶあつくなってんのがゴミ箱にあった。ホントどいつだよ」

「おい」

 俺が麻衣の正面からずれながら、口をつつしめ、というように木村をにらむと、木村は少しおどけたように肩をすくめた。

 俺はわざとあきれたような顔を作り、ラックを振り返って酒瓶を並べ直すふりをした。

 その時、ふとフォトフレームが気になり、無意識にそちらを見ると、写真の中の美樹と目が合ったので俺はすぐに視線を外した。

 それから数時間後のことだった。

 バイトの時間を終えた木村が、そのまま麻衣と酒を飲み始めたのだが、酔っぱらった勢いで、ライブを終えて打ち上げがてらんでいた和田にからんだ。

 最初は和田も適当にあしらっていたのだが、木村は麻衣が止めるのも聞かずにしつこく絡んだため、しまいには喧嘩になってしまった。

 そして、そのはずみで木村は和田の買ったばかりの40万円するギブソンのアコースティックギターを倒してしまい、ヒビが入ったネックの修理代を払うことになった。

 俺は木村をクビにしようかとも思ったが、修理代を立て替えてやり木村を雇い続けた。正直にいえば麻衣の関心をこうという下心からだった。

 もちろん、木村には毎月のバイト代から差し引いて少しづつ返済させた。

 この時、麻衣が立て替えてやろうと思えばできたはずなのにそれをせず、裕典ひろのりをしっかり働かせて反省させてください、と頼んできたことに俺は少し関心させられた。

 とはいえ、結局は麻衣がその分の生活費やデート代などをフォローしていたのだとは思うが。

 ちなみにこの事件があった夜以後、和田は俺の店でステージに立つどころか寄りつきもしなくなってしまった。

 結局、あの時の俺の誘いに対する麻衣からの返事は何も返ってくることはなかった。

 マスターとバイト、そしてその彼女、というそれまでとなんら変わりない関係のまま、この一年後、麻衣はこの世から去ってしまった。

 これが、開店して七年――去年の話だ。

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