第9話 わたしが死んだ

執筆者 : 吉良朗

― 浮かんだノイズ ―

「それじゃあ応援してた、こっちがばからしくなるわ!」

 唖然《あぜん》とする俺と木村をよそに、女は我を忘れたようにまくしたてた。

「あのさ、音楽やるのにプロとかアマチュアとかってそんなに大事なのかな? それに、やめるとかあきらめるとか、わたしが死んだ事と何の関係もないでしょ。ここのバイトだってそう。生活のため、バイトに時間をとられて練習の時間が取れないって言ってたけど、そんなのも言い訳だよ。気力がなくなったとかっていうのも、信念が弱いだけ! 全部自分の責任!。本当はさ、そんなに音楽が好きじゃないんじゃないの? ただ、注目されたいだけなんだよきっと。それが、上手くいかないからって、わたしのことまでいいわけの道具に使わないでよ!」

 女はひとしきりまくし立てると、返答を待つように木村を見つめるが、木村の方は言葉をうしな呆然ぼうぜんとしているだけだった。

 やはり木村と関係がある女なのか――?

 木村に麻衣以外にも女がいたのか……?

 それがこの女子大生?

 いや、木村のリアクションを見るかぎり、この女のことを知っているようにも、知らないふりをしているようにも見えなかった。

 じゃあ、ゆきずりの女で忘れてる――?

 いやいや、あり得ない。

 こんな甲斐性かいしょう信念しんねんもないような浮ついた男に、麻衣のような美しい彼女がいた事さえ奇跡だったのに。

 この黒いワンピースの妙な女も、一見地味めな印象だが、よく見ると美人と言っていい容貌ようぼうだった。

 それが木村とゆきずりなど、そんなことがあってたまるか――

 だが、女の言っている事は、ある程度深い付き合いがなければ出てこない内容だった。

 木村のほうは相変わらずで、混乱ほうけたような表情をしていた。

 やはり二股をかけて付き合えるような器用さはこいつにはない。

 俺は状況を飲み込めないながらも、木村に助け舟を出すつもりで女に言った。

「ちょっと、お客さん、いったい、どういうつもりか分からないけど……」

 そう言いかけたところで、ふと彼女の言動の中で一番引っかかっていたはずの言葉が頭に浮かび上がった。

 わたし・・・が死んだ――

 矢継ぎ早の言葉の中で流れていったが、女は確かにそう言っていた。

 そうだ、ここが一番不可解なところだった。不可解すぎて思考が追いつかなかった。いや、だからこそ無意識に気に留めるのを避けていたのかもしれない。

 気づくと、女が俺をうかがうように見ていた。

「マスターもなんでちゃんと言ってくれないんですか!」

 わけがわからなかった。

 この女は何を言っているんだ……?

 混乱する俺をよそに女は続けた。

「言ってたでしょ。あの夜。裕典ひろのりが和田くんと喧嘩けんかした日ですよ」

 和田というのは、これまで俺の店でライブをやったミュージシャンの中でも特に人気のあった男だ。

 しかし、その、あの夜・・・というのがすぐにわからず、俺は混乱しながら記憶を探った。

 女は苛立いらだったように続けた。

「和田くんのギターが壊れちゃった日ですよ」

 その言葉を聞いて、一瞬の間があってから記憶の片鱗へんりんよみがえった。

 だが、同時に、心臓が縮み上がるような気持ちになった。

 俺は、反射的に木村の方へ向けそうになった視線を無理矢理に天井へ向けた。

 店内が静まり、妙な空気が流れた。そんな気がした。それは実際にはほんの一瞬だったのかもしれないが、俺には数十秒にも感じた。

 俺は視界の端に木村の視線を感じると、気まずさから木村と目を合わせないようにしてステージを見た。

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