― 静かな隣人 ―
気がつくと、目の前の床に血だまりができているのが見えた。
頭をやられたか――
かなり血が出てるようだが、痛みはなかった。
喧嘩で初めて角材で頭を割られた時、血が思いのほか出たことに驚いたのを思い出した。
その時も、流れる血に興奮してなのか殴られた衝撃だけで、痛みを感じ始めたのはかなり時間が経ってからだった。
シュンの泣き声が聞こえた。
先ほどよりもひときわ大きな声だった。
疲れるということを知らないのか――
隣のおばさんが壁をどんどん叩いている音が響いていた。
いいかげんにしなさいよ、出ていけ、などと怒鳴っている。
和雄は身体に力が入らず、起き上がることもできなかった。
ただ横になっているだけなのに、酷いめまいがした。
どうにか首を動かすことができたので、周囲を窺ってみると、ひかりが部屋の隅でこちらに背を向けて倒れているのが見えた。
ひかり……大丈夫か……
声にならなかった。
インターフォンのチャイムが鳴った。
壁のモニターをゆっくり見上げると、画面に隣のおばさんが映っていたが、和雄にはそれをただ眺めていることしかできなかった。
おばさんはヒステリックに何度もインターフォンを鳴らすと、次にドアを連打した。
いるのは分かってんのよ!
いいかげんにしなさいよ!!
帰ってきたらさっそく赤ちゃん泣いてるし!!!
ほんともううるさいんだから!!!!
と怒鳴っている。
そのうち、ガチャッとドアが開く音がした。
なに? やっぱりいるんじゃない。
ちょっと! もう、あがるわよ。
そんなことを言いながら、勝手に玄関を上がり廊下を歩いてリビングに入ってきた。
その途端、ひっ! と声をあげて、おばさんはその大きな尻を背後の床に落とした。
その鈍重な衝撃音は和雄のめまいをさらに悪化させ、憂鬱にさせた。
その後は警察が来る騒ぎだ。
まったくこの部屋に警察を呼ぶはめになるとは……ちくしょう……
荒らされた部屋からは、これまで和雄が手にし隠していた盗品の貴金属や金銭などがごっそり持ち去られていた。
そのため幸いというべきか、和雄はガラの悪い連中どうしのいざこざによる、単なる被害者ということになった。
頭は鈍器か何かで殴られたのだろう、と刑事たちは和雄の気も知らず、淡々と仕事口調で言っていた。
そりゃ、鈍器か何かだろうよ、こんな血ぃ出てんだから――
しかし、和雄にとって悔やまれるのは、ひかりを巻き込んだことだった。
ただそれだけが悔やまれた。
ひかりは顔面を酷く殴打されたようで、特に右側だけを見たら誰だか分からないくらいだった。
ひかりの話によると、襲撃してきた連中は和雄を殴り倒すと、それぞれ室内を物色し始めたらしい。
面子はヤクザふうの男と東南アジア系の外国人がそれぞれ二、三人ずつ、それに加え、この部屋にも来たことがあり、ひかりもなんとなく知ってる顔が二人いた。
二人は、連中の提案を真に受けた、和雄のグループのメンバーだ。
そして、連居心地悪そうにひかりから目をそらす二人に、外国人の一人が、オサエロ、と片言の日本語で指示した。
咄嗟にひかりは逃げようとしたのだが、すぐさま外国人に蹴り倒された。
外国人は更に続けて、動揺し戸惑っている二人のうちの一人の顔面にハイキックを入れた。
蹴られた仲間を見て慌てたもう一人に、ひかりは捕まえられた。
すぐに蹴られたもう一人も鼻血を出して泣きそうな顔をしながら駆け寄ってきて、ひかりは二人に上半身を抑えつけられた。
クチヲフサゲ、と外国人が言い、ひかりは二人に手で口を塞がれた。